2022年05月13日
中東研ニューズリポート
UAE:ハリーファ大統領が逝去
執筆者
堀拔 功二
カテゴリー
政治
地域・テーマ
UAE, 湾岸・GCC
UAE大統領府省は5月13日、ハリーファ・ビン・ザーイドUAE大統領(73)の逝去を発表した。UAEでは今週、SNS上でハリーファ大統領の健康回復を祈願する投稿が相次いでおり、その真偽と動向に注目が集まっていた。ハリーファは2004年11月にUAE大統領に就任後、UAEの国家運営の中心として活躍していた。今後、数日以内にムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子がアブダビ首長に就任し、同時に連邦最高評議会で大統領に選出されるものと見られる。
UAEは40日間の服喪期間
大統領逝去の報を受け、UAE政府幹部やアラブ・イスラーム諸国の首脳らは相次いで弔意を示した。ムハンマド・ビン・ラーシド副大統領兼首相やムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子はツイッターで、ハリーファ大統領逝去への悲しみを表明した。大統領府は40日間にわたる服喪を宣言し、半旗の掲揚を指示した。UAE政府機関および民間企業は、5月14日から三日間業務を停止し、火曜日から再開される。
ハリーファ大統領は1948年に、アル=アインで生まれた。故ザーイド大統領の長男で、1969年からアブダビ皇太子として長く父を支えた。1970年にはアブダビ皇太子として来日し、大阪万博を訪れている。1971年のUAE建国後、連邦副首相や最高石油評議会議長などを歴任した。2004年11月に建国の父であるザーイド大統領の逝去に伴い、ハリーファ皇太子はアブダビ首長に就任し、さらに連邦最高評議会の互選を経てUAE大統領に就任した。子供は2男6女に恵まれ、長男のスルターン・ビン・ハリーファは大統領顧問を務め、次男のムハンマド・ビン・ハリーファはアブダビ執行評議会メンバーを務めている。また世界有数の資産家としても知られている。
ハリーファ大統領の功績と健康問題
ハリーファ大統領は調整型の指導者であり、温厚で気前が良く、国民からも人気のある人物であった。大統領就任から間もなく、連邦国民評議会(FNC)における選挙導入を発表し、2006年に第1回FNC選挙が実施された。また2010年から12年ごろにかけて中東全域で広まった「アラブの春」に際しては、UAE国内の経済・開発格差を課題として捉え、北部首長国やアブダビ西部地区の開発にも力を入れた。
ところが、2014年1月に脳卒中で倒れると、政治の表舞台から事実上退くことになった。ハリーファ大統領に代わり、ムハンマド・アブダビ皇太子がUAEの事実上の指導者として振舞うようになった。2017年6月に、ハリーファ大統領の動静が映像付きで久しぶりに報じられると、それ以降もアブダビ首長家関係者と会談する様子が時折伝えれたが、肉声が流されることはなかった。ハリーファ大統領の顔つきや足元の様子(通常のサンダル履きではなくスニーカーを履いている)からも、脳卒中の後遺症から完全に回復していなかったと考えられる。
後継者の動向に注目
前述の通り、ムハンマド・アブダビ皇太子が事実上の指導者として国家運営の中心にあったため、ハリーファ大統領の逝去による政治的影響は限定的である。注目すべきは、「次の皇太子」が誰になるかである。恐らくムハンマド皇太子がアブダビ首長に就任後、これを指名することになる。有力な候補者は複数名いる。
水平的継承、すなわちムハンマド皇太子の弟に皇太子位が継承されるとすれば、ハッザーア・ビン・ザーイド・アブダビ執行評議会副議長、サイフ・ビン・ザーイド副首相兼内相、タフヌーン・ビン・ザーイド国家安全保障顧問、マンスール・ビン・ザーイド副首相兼大統領府相、アブドゥッラー・ビン・ザーイド外務・国際協力相などの名前が挙げられるだろう。いずれも長年にわたりUAE政治を支えてきた要人であり、安定感は十分である。
次に垂直的継承、すなわちムハンマド皇太子の息子に皇太子位が継承されるとすれば、ハーリド・ビン・ムハンマド・アブダビ執行事務局長・国家治安局局長やズィヤーブ・ビン・ムハンマド・アブダビ皇太子府長官の名前が挙げられる。ハーリドはまだ40代前半と若いが、実務経験を着実に積んでおり、近年は政治的な露出も増えている。
なお、ハリーファ大統領は生前に、次期皇太子候補である副皇太子を指名していない。そのため、ハリーファ大統領の息子のスルターンやムハンマドが、皇太子位を継承する可能性は低いと言える。