2016年06月07日

中東研ニューズリポート

サウジアラビア:イランとのハッジ交渉の決裂

執筆者

高尾 賢一郎

地域・テーマ

サウジアラビア
 6月5-6日、ヒジュラ暦1437年の断食月(ラマダーン)が始まった。イスラーム世界全体がこの聖なる期間を迎える直前の5月末、イランの巡礼委員会は、イラン人が今年、マッカへの大巡礼(ハッジ)のためにサウジアラビアに渡航すること、またサウジ査証の取得を目的に第3国に渡航することを禁止すると発表した。サウジ側はイラン政府の決定を批判し、今年1月以来、国交が断絶している両国の緊張関係に拍車がかかっている。

2016年1月のサウジ・イランの断交


 今年1月2日、サウジ内務省は同国の著名なシーア派指導者ニムル・バーキル・ニムル師を含む「テロリスト」47名の処刑を発表、これに怒ったイラン市民が翌3日、テヘランのサウジ大使館とマシュハドの同領事館を襲撃した。事態を重く見たサウジ政府は同日、イランとの国交断絶を発表、続けて同国の航空機の乗り入れなども決定した。当時のサウジは、隣国イエメンへの軍事介入が長引く中、敵対勢力である同国のフーシー派をイランが支援しているとの見方から、イランに対して強いストレスを抱いている状況にあった。

巡礼にかかわる交渉の決裂


 一方のイランは、かねてより、サウジ当局が巡礼目的の人々を含むイラン人入国者に様々な「嫌がらせ」を行っていると非難してきた。2015年9月にはマッカで多数の巡礼者が折り重なって倒れる事故が起こり、圧死した人のうち500人弱が、在レバノン・イラン大使館の外交官を含むイラン人であったた。その後のサウジ当局による遺体確認などの遅滞について、イランはサウジ当局の不手際だとして強い不満を表明した。

 こうした状況を踏まえ、イランは4月の時点で、自国民の巡礼者受け入れについて協議するための交渉委員をサウジに派遣し、両国間で受け入れ条件について議論を重ねてきた。協議の中でサウジ側は、イラン人巡礼者がサウジ国内の公共の場でデモなどの活動を行うことを懸念する観点から、国旗の持ち込み禁止や巡礼者の詳細な経歴の提出など、様々な条件をイラン側に課し、巡礼者を当局の強い監視下に置こうとしたとされる。一方イランは、上述の巡礼者圧死事故を踏まえ、自国民を保護する観点から、居場所がわかる電子チップ入りのリストバンドを着用させるなど、イラン当局が自国民の巡礼者を監視することを要求したとされる。議論が平行線を辿った結果、最終的にイランは、サウジ側が交渉委員代表団に渡航のための査証を発給しないなど、交渉自体を妨害したため、今回の措置に踏み切ったと発表した。

サウジ宗教界の反応と両国の思惑


 イラン政府の決定に対し、サウジ宗教界の最高機関である最高ウラマー委員会は、ハッジを政治事案として扱い、自国民にハッジの禁止を言い渡すことが、ムスリムの信仰を妨げる行為に繋がるとしてイラン政府を批判した。ハッジを政治問題化するなとは、特に昨年の圧死事故に関するイラン政府からのサウジ政府への批判に対する反批判として、サウジ側が用いてきた常套句である。巡礼者の中で少なからぬ割合を占めると思われるイラン人の渡航中止は、サウジにとって「ドル箱」とも言われる巡礼収入に一定の影響を及ぼすだろう。しかし同委員会の声明は、ムスリムであるイラン国民を被害者と位置づけることで、これまでのイラン政府への批判よりも強気な様子がうかがえる。

 これに対してイランの巡礼委員会は、政治的緊張関係にあるイランの巡礼者に限って特別な措置をとろうとするサウジ側こそ、ハッジを政治問題化していると批判した。協議の内容や政治問題化という点に関して、いずれの政府の主張が正しいのかはさておき、歴史上、巡礼者の安全を含めたハッジの成功はマッカの統治者にとってその統治能力やムスリム指導者としての責任能力を示す機会となってきた。これまで国内外の様々な治安上の問題の原因をイランに求める向きもあったサウジにとって、イラン人巡礼者が不在となる今年のハッジは、例年以上に成功が求められる、極めて重要なイベントになると思われる。