(速報、2000.02.15)

 


日本の鉄道が日本人の孤立を取り除くのはいつか?!

al-Riyadh, 2000.02.15, p. 6(論調面)

 アブダッラー・ビン・アブドゥル・アジーズ皇太子殿下が2年前に訪問した直後に合意したサウジと日本の覚書の中で、人的資源開発、保健、科学技術、スポーツ、投資の分野で共同プロジェクトを実行するという新しい枠組みが定められた。

 サウジ日本(共同)声明で言及されたこの事は、単に建設的な文章ではなかった。東アジア地域で石油需要が伸びるという予測があり、それが2つの友好国間の経済相互交流の中で、期待されるモーメンタムを呼ぶ。サウジ原油が日本の原油輸入の主要な部分を構成していることから、サウジ原油に対する日本の需要も考慮した。ところが、サウジ社会と文化における日本の精神的存在は、今まさに消えようとしている!

 正に日本人は、他の民族が有しているところの自分たちの製品や文化を広めようとする姿勢に欠けている!!アメリカ人、イギリス人、フランス人は、自分たちの利益拡大に照らして、他者との関係を構築することに、より長けているようである。それはつまり、可能な限り自分たちに関する否定的な印象を除去するよう努め、それを公的機関のトップから社会の底辺まで一貫して実行することである。

 私は自分が幼かった頃、アメリカ人の看護士(看護婦の仕事をする男)たちがどのようであったかを思い出す。彼らは我々の小学校へ来て、結核、眼病、小児麻痺の予防接種をし、痛い注射針を抜くときにはいつも、優しい微笑みとともにビスケットやチョコレートをくれた。

 我々は当時、これが純粋な人道的動機に基づいた行動ではなく、このモラルの外観の裏に、長期的で幅の広い利益(追求)が隠されていたことに気づいていなかった。それに気づいたのは、王国が自国資源の獲得に目覚め歩み始めたあとで、その動きはArabian American Oil Company(昔のAramco)を接収し、(今の)Saudi Aramcoとして改組したことをもって完了した。

 しかしながら、学校建設や公衆衛生の水準向上にアラムコが果たした役割を否定することはできない。我々の学校は、幾度となくアラムコ映画館の訪問を受けた。彼らはマラリアとの闘いやハエの危険に関する映画を上映し、野菜や果物を食べる前に水と洗剤で必ず洗うことを教えた。

 別の側面では、アラムコは、ある時は学校での教育プログラムを通じ、また別の時には"qaafilah al-zait" (oil caravan)という雑誌を通じ、教育啓蒙活動を行った。これはアラブ世界で最も優れた出版物であり、我々は、思想家たち、ターハー・フサイン(エジプトの作家1889 - 1973)、アブドゥッラフマーン・シドゥキー、マフムード・タイムール、マフムード・アブー・アル・ワファーゥ、ワディーア・フィラスティーン、フアード・サッルーフ、イフサーン・アッバース、その他多く(の作家、思想家)に関する記事を読んだ。

 もちろん、我々は(当時)、今では悪魔が作り出した憎悪とみなすところの冷戦、思想対立の時代を生きていた・・・しかし、我々は生クリームとチョコレートのケーキをむさぼり食うようになり、ビーフバーガーで胃を満たし、海水を淡水化した水を飲み、自動車に乗るようになった。その後、我々はダンマーム(ダンマン)とリヤードの間を列車が走るのを見た。これは、アブドゥル・アジーズ(初代)国王が1940年代末にエジプトを訪問した際、列車に乗った後、国王の強い要請を受けてアラムコが建設したものである。

 これら全てはアメリカ人がしたことである。我々はもう1回でも10回でも1000回でも言う。「彼ら(アメリカ人)は我々(サウジ人)を心から思ってこれらを行ったのではない。むしろ自分たちの利益の必要性に迫られて行ったのだ。他方、日本の友人たちは、長年中立地帯とアル・カフジーの石油の上で一休みしたにもかかわらず、このようなことは全く行わなかった。"qaafilah al-zait" (oil caravan)を真似て"al-khafjii"(アル・カフジー)という地味で黄色い雑誌を発行したこと以外、我々は東部州(サウジの行政区画で油田地帯)またはアル・カフジー地区で彼らの存在を感じたことは無かった。それらは全く異質の(アラムコとは格段の差がある)試みであった!」

 サウジ人社会における印象を改善しようとする日本人の全ての試みが失敗に帰した。なぜならば、それらが異質であったからだ・・・アル・カフジーの油井の石油資源をこれだけ使い果たしたあと、先にアブダッラー・アブドゥル・アジーズ皇太子殿下が東京を訪問したとき、サウジ日本協力アジェンダで定められたところの両国共同投資行動を、彼らは実行しないのだから。

 我々はこのあと(皇太子訪日のあと)、日本人が投資できるような形で、日本人がダンマームからアル・ジュバイル経由で、地下資源が存在する北部に達する鉄道敷設に取りかかることを期待していた。しかし、この希望はリヤードにおける先のサウジ日本協議が頓挫したあと、水泡に帰した。

 しかし、ここで問題の核心は、(以下である。)

 なぜ、日本人は、ここで、アメリカ人や他の西欧民族と異なるのだろうか?

 (間違いかもしれないが敢えて言うならば)日本人の人格は、自然環境や地域戦争によって支配され、その性格の一部が孤立主義に(変質)したのかもしれない。孤立から脱出しようと何度も思いながら、自らの身を引くことを好む。恐らく、この性格が、彼らを他者との交流に熱心でなくさせているのであろう。鉄道敷設に費用がかかると言うけれども、鉄道建設費用は、日本人がその利益(国益)全体に関連するこのプロジェクトから生ずる利益よりも小さなものを支払うことと同列に考えられない・・・なぜならば、日本の電車が王国の町や砂漠を通れば、それが、わが国(サウジ)一カ国だけでなく、アラブ地域全体において、日本の創造性や日本人の才能を宣伝することになるからだ。


(翻訳:伊丹 和敬)